平和ミュージアム旧日本陸海軍博物館
第3号館「教育参考館」



第百七回海軍記念日特輯!
帝國海軍華やかなりしころ
大公開「海軍一般」(大正八年)付図

本書は一般向けに海国民として海軍常識を備えてもらうために発行された。
大正のデモクラシーもあってか、重要情報も可能な限り公開する姿勢を示している。
内容も興味深いが、現代人にも分かりやすくするために付図のみ採録した。
それでも、ワシントン軍縮条約直前、八八艦隊計画が進行し、長門以下最大の勢力を誇った
帝國海軍の威容を偲ぶには好個の資料と言えよう。(図版は見やすいように加工してある)


↑まずは帝國海軍艦艇の一覧から。陸奥は建造中であり、長門は艤装中であったようだ。空母の若宮は水上機母艦である。


↑最新の主力艦「扶桑」と当時の建造物の大きさ比べ。現代人は奈良の大仏と比べると分かりやすいだろう。


参考)本図は「日本少国民文庫第6 人生案内」新潮社(1939年)所収の国会議事堂と大規模建造物の比較図である。
おなじみの戦艦「陸奥」が⑬にあるので、戦艦と言うものがどれだけ大きいかを知る良い資料となるだろう。その他資料の補足資料である。


↑戦艦以下、潜水艦までの同一縮尺図。尺はフィート(30.5㎝)で計算すればメートル化できよう。
長門のシルエットが微妙に違うのは、当時最新鋭艦の機密保持のためと理解されたい。



↑巡洋戦艦「金剛」の断面図と公表性能。英国建造と言う事もあってか、ある程度細部まで国民に知らされている事がわかる。
要目は非常に面白いと思うのでじっくりご覧いただきたい。

 
↑艦砲と砲弾の大きさの比較。人間を基準にしてみると大きさがわかる。


↑当時の最新鋭戦艦の主砲の射程と弾道はこんなにすごいんだという図。真中は富士山。「ビクトリー」は19世紀初頭、英国の帆走戦列艦。


↑魚雷の発達今昔。昭和になると魚雷の重要度が高まったので性能は一切公表されなかった。これは貴重なものである。


↑魚雷と機雷の概要。魚雷の秘密室とはジャイロ部分の事か?魚雷のデザインは初期の朱式(シュワルツローゼ)と思われる。


最後、大正8年(1919年)当時の海戦の概念図。古いと馬鹿にする無かれ。
観測気球や水雷防御網こそ無くなったが、その他は性能が進化して今日も現役です。
海戦が、この時代から三次元化したことがよくわかる。



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2009年/2669年?平和ミュージアム旧日本陸海軍博物館
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