平成24年度「第8回終戦記念特別展」
(於:仙台市青葉城護国神社内)

2012年夏 仙台市青葉城IN仙台護国神社

8月14日・15日
「終戦記念特別展」開催

明治時代、日清日露戦争の歴史を偲ぶ品々をはじめ
満州事変、支那事変、大東亜戦争と大日本帝國の栄光と終末に至るまで
軍民問わずあらゆる戦時資料を総動員して送る夏限定の特別展。

ご家庭で職場で、友人や親族と近代日本の歩みを振り返るきっかけとなれば幸いです。

東北地方在住研究家諸氏の秘蔵の品を総動員!



展示品予告!(8月現在)
①明治時代の各種軍装品:明治十九年式~三七式/三八式、四五式まで
スナイドル銃剣拵、三十二年式軍刀乙型拵、明治期の小円匙、各種肩章
日露戦争の戦利品(3吋砲弾、旅順官舎の飾り、軍医官肩章)
写真資料各種、当時雑誌、錦絵、刷り物、掛け軸など紙物も充実!

②兵器類:硫黄島から帰還し、近年復元された「陸軍九六式軽機関銃」を筆頭に
「チ式軽機関銃」「金山式九六型教練軽機関銃」「三八式歩兵銃」「村田教練銃」
などなど無可動実銃をはじめ、モデルガンなどで旧軍の兵器体系を再現!

③支那事変~大東亜戦争の各種軍装品、銃後の戦時資料も勿論充実。
毎年変わる展示品に期待は裏切らず!

④戦艦や戦闘機、戦車など現物が無いものはモデラー諸氏に拠る精密な模型で再現!

⑤今回の目玉:兵営の食事、兵士の日常品大特集。詳細は会場でご確認ください!

さらにさらに!時間帯で儀仗兵や喇叭手が登場するかもしれません!!

広く一般の皆さまでも興味を持って観ていただけるように展示には工夫をいたします。
解説員もいますので、ご来場のうえ何でもお気軽のお尋ね下さい。

例年、戦中派から若い世代を中心に幅広い方々のご来場を頂いております。
この機会にぜひお出で下さい!

(展示内容は予告無しに変更になる場合があります。ご理解下さい)

*9月20日追記:実際には変更になりました。


2012年夏 仙台市青葉城IN仙台護国神社
平成24年度「第8回終戦記念特別展」写真画報

↑今年の終戦記念特別展も多くの来場者で賑わいました。

◎予告の兵隊の食事コーナー

↑展示の目玉!兵隊さんと食事展。メインは調理教本の実物!缶詰!!そして「乾燥馬鈴薯」だ!!


↑東京近郊で発見された大阪陸軍糧秣廠買上「乾燥馬鈴薯」昭和十九年七月・徳島県産
ビニールパッケージされたものが、その中身。この紙袋が下記の容器に入ったまま発見された。


↑醤油箱大の木箱の中には、ブリキをハンダで接合した「缶詰」状態で上の「乾燥馬鈴薯」が入っていた。
文献では知られていたが、実物は初見の大発見である。発見者の農夫が食べたそうだが命に別条はないようだ。
帝国陸軍の食品加工技術の高さを実感した瞬間である。こういう技術が戦後のインスタント食品に生かされたのであろう。

*東京都在住の日本軍軍装研究家 進藤 進氏の特別のご厚意でご提供いただきました。


↑チョコレートやキャラメルは当時からの市販品を展示。戦中と現在がつながる瞬間である。
クレオソートの瓶は軍用の本物。これがなければ大陸の悪水にデリケートな日本兵の胃腸は耐えれなかった。

↑「軍用牛缶」と缶切、ナイフ各種。ドロップ。固形燃料缶詰、錨ベーキングパウダー

↑弘前歩兵第三十一聯隊将校団の記念品「朱塗菓子器」。
南部鉄器で茶の湯をするときにこれで練菓子でも出したいと思う逸品。

食べ物コーナーガラスケース内

↑軍用缶詰のアップ画像。それにしても良く残っていたものである。

↑毎度おなじみ、私のコレクションである明治時代の「乾パン」のパッケージ。下は自衛隊のもの。

↑ 陸軍の乾燥食品のパッケージレプリカ。実際にこのようなものが存在したということを伝えるだけでも意味がある。

↑軍用煙草の展示。煙草は兵士の重要な嗜好品だ。「チェリー」「光」「誉」は有名だが「いさを」は初見であった。

↑これもまた今回の展示の目玉である、実物の調理教本の数々。ミリメシブームで現物の入手自体容易ではない。
しかも、これだけの数と種類が一か所に所蔵されているのは驚愕以外の何物でもない。
東北の日本軍研究者それぞれの得意分野を結集すれば、このような展示も可能なのだと改めて感じた。
試みに「カレー南蛮」のページを掲げたので調理に挑戦してみてはいかがだろうか?

↑朱塗りの錨マークの茶碗は明治時代の海軍の食器とされるもの。

↑ 九七式布濾水器など。戦場では水の確保も大変な苦労と工夫が必要とされる。好資料である。

↑ 実物の配膳容器。隣は携行電灯。手回しで発電する。震災後の防災グッズで流行るはるか昔のアイディア。

↑ 水嚢や各種飯盒 比較的状態の良い九二式二重飯盒は珍しい品。

↑ 日本軍と比較するために、自衛隊、米軍など現用の軍用携行食糧も展示された。
乾パンと金平糖の試食は大人気だった。

◎おなじみの続いて明治コーナー

↑ 初登場!「教育勅語絵物語掛軸」

↑明治の軍装品各種。中央の軍服は明治軍装がご専門の平山晋氏の写真鑑定だと「三八式」とのことでした。

↑ マントは若い女子に大人気でした。生地が立派と大変誉めていました。

↑ 大日の丸が寄贈されたので今回使用、大迫力です。(三八/四五式軍衣・特務曹長か?)

↑ おなじみ戦利品の「旅順要塞ロシア軍官舎飾」とロシア軍三インチ砲弾

↑ 初登場 「三十二年式軍刀乙型」と「スナイドル銃銃剣」。二十三年式方匙もこれで映えます。

↑ 明治時代の将校用皮脚絆

↑明治の資料は着々増え、展示も広がりつつあります。

↑ 明治時代だけではありませんが、各種銃弾の展示。

↑ おなじみ戦勝記念盃。「トンボ」(日本)が「鷲」(ロシア)をやっつける図柄が日露戦争を特に象徴している。

◎続いて 兵隊さんと銃後を繋いだ軍事郵便の展示


↑ 私が余計なことを書く必要はないでしょう。ぜひ一度お手紙を手にとってご自身の目で確かめてください。
「日本の兵隊さん」の真心や心情がよく理解できるはずです。



↑ これらは特に第二師団の若松聯隊(歩兵第二十九聯隊)関連の資料です。ガダルカナル関連の一次資料は圧巻。

◎兵器関連の展示です。*なお、すべての兵器は使用不可能な合法品です。

↑予告通り 手前から「三八式歩兵銃」「九九式小銃」「村田教練銃」「金山式九六型教練軽機関銃」「九六式軽機関銃」

↑ 三八式野砲用榴弾と手榴弾模型、陶器製手榴弾。

↑ 九二式野戦電話機(末期の南方仕様)

↑ 同じく九二式電話機の取り扱い要領


↑ 古鷹屋謹製 1/6スケール 九七式自動砲(ガレージキット) 見事な造形と模型製作である。

↑ 九七式自動砲の教範より図面。これは現地部隊で作成したもの。

兵器コーナー全景

◎ついに登場!本物の「兵隊さん」現る!!

↑ 陸軍歩兵の動作と着装を研究している儀仗サークル「陸衛隊」より東北在住の隊員が参加。
軍装の考証が確かなことはあえて言うまでもありません。兵士としての正装で参加しました。
厳粛かつ機敏、闊達な動作は実体験者をも唸らせました。もちろん、我々も感動です。
開始から終了まで正式の動作を繰り返し、休めも兵隊式で徹底し、渇を覚えれば水道の水飲み場を探していました。
コスプレは誰でもできますが、精神性を伴う厳粛な動作は不断の訓練を要すると思います。
お二人とも地元消防団でも活躍されている由。基本的な中隊教練が出来ているわけです!


そして、護国神社の宮司さんの要請で、8月15日正午の慰霊祭に「國の鎮め」を吹奏することに…
お二人も予想だにしなかった重大任務です。しかも、戦後67年。初めての事だとか。

毎年、慰霊祭自体には参加させていただいています。
戦後という、平和な時代を享受し、こうして自由な環境で、生活できるのは兵隊さんや戦時中のみなさんのご苦労の賜です。
だから、軍事を趣味に持つ者として、せめて、年に一回でも感謝と鎮魂を祈らねばと思うのです。
今年はこういう我々の思いを形で表現してくれる仲間が参加してくれました。
本当に有難いことです。

静粛の中鳴り響いたもの悲しげな喇叭はきっと郷土の兵隊さんの御霊に届いたことでしょう。


その後、遺族会の集会でも喇叭と厳粛な動作を披露。拍手喝さいで大いに盛り上がります。
展示会場では親子連れの要望で写真撮影に応じたり、これ以上にない「実物」展示を果たしてくれました。

*蛇足ですが、彼らは普通の服装で来場し、会場で着替え、展示を行い、また私服に着替え帰って行きました。
意味もなく軍服姿を見せながら会場外を徘徊するような事は一切ありません。また、終始一貫生真面目な動作でした。
若い諸君で、旧日本軍に憧れるあまりに、公衆の面前で、礼を失する事が無いよう、ぜひ彼らを見習って下さい。
軍人勅諭に曰く「一つ、軍人は礼儀を正しくすへし」の模範だと私は思います。


◎アラカルト

↑ 仙台の放送局2局が取材に来場し、14日の晩、15日の正午のニュースとなりました。

↑おっと、明治十九年式軍衣袴も持ってきていました!

↑ どんどん来場者が増えていきました。 
そうなると解説係は写真撮影の暇は無いので、ピーク時の様子は映像がないのです。

↑会場の様子

↑ 非常に状態のよい「四五式軍衣袴」。会場では桜ヘルメットが大人気だった。

↑ 陸軍関係

↑ 海軍関係

↑ 真珠湾の軍神 鈴木三守中佐の展示

↑初登場 軍艦「長門」のレリーフ。
これを見て一発で昭和初期の長門型戦艦だと言ってのけた二十歳前後のお嬢さんに、解説員一同絶句した。

↑ 陸軍関係


↑当時の新聞と軍都「仙台」時代の市街地図

↑ 戦時下の子供たち関係の展示

↑ 見事な「のらくろ」です。

↑ 子供たちの雑誌も軍事一色に見えるが、中身は良心的な科学記事が一杯詰まっている。

END

最後に、参加者全員で記念撮影を行った。
メンバーの中に震災で、失われた命もあった。記憶は形にしなければと痛感した。
また、そのような目にあうからだろうか?
否、今後もこの企画を断固継続する意志の確認として!



また、来年度もここにみんなで集おう!

より多くの人に戦時下の歴史を肌で感じてもらうために!!


ご来場いただいたすべての皆様、
ご協力いただいた戦友諸君に心より感謝申し上げます。



 

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