いきなり戦争の時代じゃない!!
まずは、近代日本を知ろう!

このHP群をご覧の諸賢。
いきなり大東亜戦争(アジヤ太平洋戦争)ですか??
貴方の中で、ひょっとして明治は「坂の上の雲」だけですか??
貴方は戦前という時代について、どれだけご存知ですか?
知ってる人は確認を。
知らない人は改めて理解の上で、先の大戦とこれからの日本を考えましょう。

『明治大正昭和大絵巻』
大日本雄弁會講談社
キング付録より

昭和初期に描かれた、明治・大正・昭和の世の中を大変分かりやすい資料です。
ぜひ、ご覧の上、私たちのご先祖が生きた時代を実感して下さい。(主任研究員謹白)

 第1回 明治元年~明治十年まで 明治維新から西南戦争まで

第2回 明治十一年~明治二十八年まで 富国強兵と日清戦争

第3回 明治二十九年~明治四十五年まで 臥薪嘗胆・日露戦争を経て世界の一等国へ

NEW 第4回 大正元年~大正十五年 大正のデモクラシー(民権運動) NEW

NEW第5回 昭和元年~昭和5年 大日本帝國の責任と苦悩。そして悲劇と奇跡の昭和へNEW




第4回 大正元年~大正十五年まで 大正のデモクラシーと繁栄の時



↑大正元年(1912年) 大正の始まりは明治という時代に殉じた乃木将軍の自決で始まった。乃木の自決は文学者の間で論議を呼んだが、一般には尽忠報国の軍神として神がかった尊敬を受けた。


↑大正2年(1913年) 尾崎行雄の桂内閣退陣要求は、言論の力で政府首脳を退陣させたということで、議会先進国英国のヂズレーリの事績に並ぶ議会制民主主義の快挙であった。


↑大正3年(1914年) 懲りない人類は今度は世界規模の大戦争を巻き起こした。これ以降、戦争は軍隊同士の戦争ではなく、全国民を巻きこんだ真の意味での総力戦に変貌する。


↑めずらしいものも増えるが、一方で雄弁家の時代を迎え、明治の自由民権運動で鍛えた論客が新たな世代を相手に大運動を開始した。


↑平和な時代であり、スポーツの国際大会への参加も増えてゆく。


↑第一次世界大戦とシベリア出兵に拠る好景気は一方で物価を高騰させ庶民の生活を圧迫。かくして江戸時代並みの米商人たちはついに耐えきれなくなった庶民の怨念を一身に受けることになった。民衆運動として評価すべき事項だが、一方で単に暴れたいような連中も少なしとしなかったのではないかとも思われる。


↑誰のための学校か?大人は子供見本ではないのか??現代の学校教員は戦前の師範学校の教えに帰り、大いに自省すべきであろう。


↑かくして、第一次世界大戦の講和はなったが、ドイツへの怨念にあふれたクレマンソーとロイドジョージの前に学者的で理想化のウィルソンは為すすべも無く敗れ、
日本が提案した民族の自決や、人種差別撤廃の提案も葬られた。しかし、後年の大東亜戦争の結果、英仏は結局、殆どの植民地を失うのである…


↑明治神宮は人口の森として数百年後をも見越して設計された優れた公園であった。一方、世界最大最強の戦艦「長門」「陸奥」が完成。日本海軍は世界三大海軍の一画を占める。


↑後の昭和天皇は英国に外遊。盛んな歓迎を受けた。後に昭和帝は、人生で自由だったのはこの時だけだと側近に漏らしている旨漏れ伝わっている。


↑第一次世界大戦の勝利で、日本では大規模な博覧会が行われた。一方、政界の巨魁 原敬は右翼のテロいに遭い死亡。テロの時代を迎えた。


↑かくして、普通選挙制が施行され、国民は義務のみならず権利をも与えられたのであった。しかし、その神髄を理解する事は未だに難しいようである。


↑1923年、関東大震災発生する。この歴史の教科書の片隅にある記憶を今日、身を以て体験しようとは誰が想像できたであろうか?


↑大震災悲喜こもごも。いち早く復興へ立ちあがった後藤新平の前に既得権益という魔物と想像力の欠如という時代の限界が襲いかかった。


↑この日、JOAKのラジオ放送の第一声は総裁後藤新平の声だった。ラジオで国民等しく文化を享受できる。この大理想を今の拝金N●Kはよーく思い出すが良い。


↑大正14年(1925年)は画期的な大衆雑誌「キング」が創刊される。第二期の雑誌黄金時代が来るのである。私も大日本雄弁會講談社の愛読者の一人である。


↑神宮が体育の聖域となったのはこんなに昔の事なのかと改めて思う。そして、この伝統が良い意味で今も続いていることを喜ぶ。


昭和元年~昭和5年 大日本帝國の苦悩と責任 に続く

 

2009年/2669年?平和ミュージアム旧日本陸海軍博物館